やらない理由をすて、やる勇気を選択する

※アフィリエイト広告を利用しています

前の記事でも少し触れましたが、人はやらない理由を探すのが得意です。

今日は帰るのが遅かったからとか、明日は朝早いからとか、まとまった時間が取れないからとか。

ブログや副業に限らず、なんでもそう。成功している人のことをうらやましく思ったり、妬ましく思ったりするくせに、行きたくねーと言いながら仕事に行く。やりたいと思っていることをやらずに、やりたくないと思っていることをやる。

矛盾しているのではないか。やりたいならやればいいし、やりたくないならやらなければいい。

なぜやりたいことをやらずに、やりたくもないことをやっているのか。

私は心理学者でもなければ心理学を専攻もしていないただの一般ピーポーだが、思うことがある。

なにもしたくないのが人の性ではないのか、と。

朝テレビをつけて、パンをかじりながら特に興味もないニュースを観る。学校だろうが仕事だろうが、時間になったら脳死で家を出る。学校に着いたら指定の席に着き、カバンの中身を机に移す。仕事場だったら、自分のワークデスクに着き、脳死でパソコンを立ち上げる。それぞれが、勉強だったりノルマだったり、与えられたタスクをこなしていく。

それを面白いと思えているなら健全だ。悪くない。だって心が健康なのだろうから。

そうじゃないなら問題だ。

やりたくないことをやっている。

たぶん、犬や猫なら、やりたくないことはやらないと思う。

知恵があり、考える力のある人間に限って、やりたくないことをやっているのだ。

バカじゃないのか。

そう思いかけたが、実は違うのではないか。

よく考えてみてほしい。

人生は選択の連続だ、などという。

そして人間は考える力があり、選択する能力がある。なのに、やりたくないことをやる。

実は、やりたくないことをやりたいと思って選択しているのではないか?

いや、違う。

人はきっと、変わりたくないのだ。

「〇〇をやりたくない」と「やりたくない〇〇を辞めて、△△になってしまった自分に変わりたくない」を天秤にかけ、「変わりたくない」を選択している。

やらない理由を探すのが得意な人間は、きっと農耕民族なのだ。

農耕民族にとって、毎年変わらず収穫があるのが喜ばしいのだ。そこに定住し居を構え、変わらない日々を費やして老いていく。これが農耕民族の幸せの基準、数千年の長きにわたるDNAに仕込まれた巧妙なバイアスなのだろう。

狩猟民族ではこうはいかない。自ら動いて、食料を調達しなければならないし、必要に応じて土地を移動しなければならない。動かないという選択は、すなわち「死を受け入れる」という選択なのだ。

今の我々を取り巻く環境ははたしてどちらか?

安定し、将来にわたって平穏な環境が続く農耕民族向けの気候か。

常に周囲に目を光らせ、穴場を探してさすらう狩猟民族向けの気候か。

世界の潮流は、圧倒的に後者だ。

終身雇用?新卒生え抜きで勤め上げ?そんなことを言っている人なんて、まったく見なくなった。

分かっているのだ、世界は変化しているのだと。

なのに自分の立ち居振る舞いは変えられないのが、人間なのだ。

絶滅する種は、いつだって変化についていけない者たちだ。

変わるということは、生存競争において必要不可欠な能力なのである。

思い出してほしい。当初、コロナの感染力と毒性は凄まじいものだった。もしコロナが弱毒化しなかったなら、中国宜しくゼロコロナ政策で、今頃コロナは絶滅していたかもしれない。

コロナウィルスは、生き残るために、自ら弱毒化した。そう思えてならない。

仕事を辞めたいくせに何も始めていないそこのあなた。

やらない理由をすて、やる勇気を選択しよう。

一刻も早く、変化を始めよう。変化って、おもしろいと思うよ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました